君じゃなきゃやだ

お花畑時々奈落の底

今すぐ時間よ、動け

 

 

中野公演から数日が経ちました。生きててあんなに泣いたのは初めてなんじゃないかなぁっと思うぐらい泣きました。途中本当に泣きすぎで「息が出来ない!」ってなったりしたのも思い返せばいい思い出です。代償にわたしは目の腫れというものを患ったのですが。結構本気で焦ったし、家に蒸気でホットアイマスクがあって本当によかったです。

 

 

 

メンバーの卒業。

 

 

 

 

卒業公演というものを生まれて初めて経験した(休止発表があったあれは休止だからノーカンとして)のですが、卒業公演ってもっと暗いどんよりとしたただ悲しみでいっぱいのものだと思ってました。実際(もしかしたらそれはぜっちゃんだったからなのかもしれないけど)は、悲しいし寂しいけど、どこか心が暖かい、そんな公演でした。オレンジ色が似合う、そんな公演だったなぁって今更だけど思ってます。会場がオレンジ一色になったあの光景はわたしから見てもすごい綺麗だったんだから、きっとステージの上にいたぜっちゃんはもっともっと輝いて見えたことでしょう。ソロ曲の時、絶対に「オレンジ色に変えてください」って言うと思ってたのに「皆さんの一番好きな人の色にしてください」って言われた時には涙が止まらなくなりました。きっと、ぜっちゃんだから言えたのかなぁって思ってます。いなくなるわけじゃないけど、10人としての彼らはもうここにはいない。終わってからじわじわと実感が湧いてきて、でもまだどこか「うっそぴょ~ん!」って出てきてくれそうな彼がいて、彼らがいて。そんなこと絶対にないんだけど。実質ライブもむすめん。として最後のライブだったわけで、きっとこれをストレートに感じるのは改名後、9人でステージにたってるのを見た時なんだろうから、わたしにはまだ10人じゃないむすめん。というのが本当は受け入れれてないのかも。受け入れたくないのかも。わたしの青春が、大好きが、そこにはつまっていたのだから。改名したら、9人になったらファン辞めるのかって聞かれたら即答で「NO」なんだけど、受け入れるのには少し時間がかかりそうです。

 

 

 

 

今回は前向きな卒業だったと思うけど、もし今後だれかが卒業するとなった時にはそうじゃないかもしれない。もしかしたら次は、自分の推しかもしれない。もっともっと言うと、解散かもしれない。無いとは言いきれないのが怖いところです。何があるかわからない。それがアイドルなんだから。推しがいない人生を、彼らがいない人生を考えただけでゾッとします。なにを生きがいにして生きていく?なにを楽しみにして生きていく?果たしてその世界でわたしは生きているということをちゃんと実感して生きていけるのだろうか?それほど彼は、彼らはわたしにとって大きな存在になっている。メンバーが前向きになろう、新たなスタートをきろうって言ってる時に考えてしまうのは次の恐怖の事なんてほんとネガティブにも程があるなぁって思うけど、それぐらい今回のぜっちゃんの卒業は不安要素になってしまったんです。卒業発表があった時点で、もうわたし達ファンにはどうすることも出来ないですもんね。

 

 

 

 

 

いつまでも、いるわけじゃないんだなぁって実感させられた。もしかしたらすっごくおっきいグループになって、憶測でしかないけど多分目指しているであろう武道館でライブができる日が来るかもしれない。もちろん彼らがあのステージに立てるようにわたしは今まで通り応援し続けるけど、もしかしたらそんな日は一生来ないのかもしれない。卒業は、解散は、急にやってくる。伝えたい事は伝えれる時に伝えないとなぁって改めて考えさせられた。もちろん無理にいう必要ないけど、わたしが最近まったく伝えれてない「大好きだよ」「応援してるよ」って言葉、ちゃんと伝えたいなぁって思いました。ただでさえわたしの推しは(わたしの推しだけじゃなく、もはや最近皆だけど)チェキ券が取りにくいんだから、本人に伝えれる時に「大好きだよ」「かっこよかったよ」「応援してます」はきちんと伝えたいなぁ。推しを前にするとどうしても緊張してしまうし、話したいこともスコンと抜けて全く関係ない世間話をして終わることが多いから、きちんとお話できるようになりたい。もう3年目なのにね。でもメンバーの卒業があったから、伝えたい事は推しに伝えなきゃって気付けれた。それだけでわたしの中では大きな1歩。みんな本当にすごいなぁって実は思ってたけど、それって当たり前のこと。面と向かって口に出さなきゃ伝わらないことだってある。今度のチェキ会は、頑張ろうねわたし。

 

 

 

 

 

もう10人の「むすめん。」はいない。不安はあるけど、寂しい気持ちもあるけど、気づかないといけないことに気づけた。彼らはもう次に向かってる。新しいスタートをきる彼らを、新たな目標を掲げている彼らを、わたしは今までと変わらず応援し続けたいと思った。「改名しても、それ以外変わりはない」、そう言ってくれたぜっちゃんを信じて、メンバーを信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひっそり思っていたこと

 

 

同担の友達が限りなく少ない私ですが、翡翠推しはだいだいそうなのかな~と思って特に気にすることもなく、タグなどにも特に参加することなく今まで追っかけ続けてきました。なのですが、最近ありがたいことに同担のお友達が数人増えましてとても嬉しく思ってます。推しのことが好きな人と推しについてお話できるのはやっぱり嬉しいものですね。推しのここがとっても可愛かった、かっこよかった、素敵だった、というお話を延々出来ると思っています。まぁこれは他担のお友達にもしていることですが。迷惑極まりないですね、自覚はしてます許して。

 

 

そこで気づいたんだけど(薄々勘づいてはいた)、どうやらわたしは相当気を許している友達でない限り、あまりその人と推しとのレポとか会話とかを聞きたくないみたいで。これは同担、他担どちらもです。推しの話をしていたはずなのだけど、いつのまにか「接触でこういうこと言われて~」とか「こういう話して~」とか、そういうのになるのって多々あると思うんです。これはもしかしたらわたしもしてしまってるかもしれないけど、今は自分のことはヨイショと棚に上げておきます。

 

 

推し単体の話や推しと他メンとの話をしていたはずなのにいつのまにかその人と推しの話になっている。数回ぐらい全然いいです。よくある流れです。「そうなんだ~!」ってわたしも素直に羨ましがったり、驚いたり、何かしらのアクションを本心でします。でもそれがその人と話す度になったらどうでしょう。さすがにうんざりしてくる…。性格がネジ曲がってるのかただ単にひねくれてるのか、「な、なんだ?自慢か…??」って疑問に思ってきます。自分と推しとのレポをあまり人に話すのが得意ではなくて、なおかつ衣装を作ったり絵を描いたり踊ったりみたいなことをしているとかではないから、ただその時にパッと出た話題やお話をダラダラ話しているだけなんで、人に話す内容が無いって言うのもあるんですが(だからレポをあのアカウントでしか流さない)。だからこそ、最初は「あれ、これってもしかしてただ妬んでるだけ?」って思ったんだけど、どうやらそれも違う。全員が全員に思ってるわけじゃないんです。経験上わたしが「苦手だなぁ、あんまり聞きたくないなぁ」って思った方たちに共通してたのが『すごい自慢げに話してくる人』。( ・´ー・`)この顔がつきそうなぐらいのドヤが隠しきれてないのです。ちなみにわたしは推しのこの顔は大好きです。話戻しまして…言い換えて、さらに言い方を悪くすれば『自分が一番だと思ってそう』。TOだと思ってるのかな?って人がそもそもわたしはあまり好きじゃないのもあります。あまりそんな人と知り合いではないのであれですが、小耳に挟んだり流れてくるツイートをみたりして、ね。推しとの仲良しアピールが過剰な方のお話を聞くのはなかなかにしんどいなぁと感じます。仲良しなのはいい事だけど、そういう方のお話って全部自慢にしか聞こえないんです。言い方もあるんだと思うけど、「あぁ。自慢したいのかなぁ」って心の狭いわたしは感じちゃう。この手の方のお話って最終「推しの話」じゃなくて「推しと会話、接触してる『自分』の話」なんです。推しは置いてけぼりです。「推しとその方のお話」ならいいんですけどね…わかりにくくてごめんなさい。その方の推しの魅力が何一つ伝わってこないお話が得意じゃない、といえばいいのかな…やっぱり折角聞けるならその方の推しの良いところや素敵なところを共有したいなぁ~って思います。嬉しいことに仲良くしてくれてるお友達にそういう方がいなくて、レポを聞いてても幸せな気持ちになれるので心から良かったなぁって思ってます。あとあまりレポを表立って流さない方が多いのでこれも良かったなぁって思ってます。気を許していない方じゃないとこういうのってわからないし、気を許している方であれば「こういう子なんだ」っていうインプットができて幾分聞き手としても楽になるんですが、いかんせん気を許すまでにはさすがに時間もかかるわけでして…『仲良し』と『気を許す』は微妙に違ってくるんじゃないかなぁって個人的には思ってます。だから仲良くなり始めたりして急に推しとの話やレポぶっこまれる(しかもそれが上で書いたようなTOタイプ)と歩み寄っていたものを1歩後ろに下がりたくなりますね。とっても自己中な考えだなぁとは思ってます。推しの話してたのにな~ってやっぱ思っちゃうし、言い方が悪いけどがめついなぁって思っちゃう。

 

 

相当気の許している友達のレポじゃないとあまり聞きたくない、というもう一つの理由としては、自分がその人とその人の推しとの関係性をわかっているから、って所です。全然知らない人とかそこまで仲良くない人とのレポ聞かされても正直反応に困ります…。お話してくれるのは有難いんですけどね。もともと友達と友達の推しとの関係性を妄想するというわけのわからない密かな楽しみを持っている私としては、関係性を知らない(妄想していない)方のお話を聞くと急に設定を増やされた気分になる。完全にキャパオーバーです。知っている(妄想している)からこそ、聞けるものなのかな~って。恋バナを聞いている気分になります。とっても楽しいです。純粋に喜んだり素直に反応できたりしますよね。知らない人だと多少の遠慮や猫かぶりをしちゃう人なので…。もちろん気を許していない人のレポ聞いたりして新しい発見があったりもするんですが、やっぱり聞くなら気を許している大好きな人達のお話が聞きたいです。

 

 

 

(ここまで長々と脈絡のない話を書いといてあれですが、あまり知らない人によく自分と推しのことペラペラ喋れるなぁっていう気持ちが8割占めてたりもします)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後になったけど、接触厨としては同担さんのレポはあんまり聞きたくないですね!!!!!!!同担拒否ではないけど、やっぱり嫌です!!!!!!病む!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえずなんで急に病んだか

 

 

特に対した理由もなくくだらないしただの思い込みで病んでるだけなんで、多分すぐに戻ると思うけど。

 

 

 

本当にどの公演も楽しくて、幸せで、間違いなく病むことなんてなかった。ライブ納めを最前で見れたり、レスだってもらえたし(思ってるだけ、だけど)、写メも撮れてお話もできて、死ぬほど幸せだった。これは事実。本当に胸張って言えるぐらいには。

接触の時に上手く話せないのはいつものことだし、特に内容のない話をするのもいつものことだし、ガチ恋ポーズをお願いするのもいつものこと。それでも推しとお話ができて、写メを撮れるだけで良かった。

でもなんだかそれがすごく推しに対して申し訳なくなっちゃって、「ああ、きっと他の人だったらもっと楽しくお話ができたはず。」とか、「こんなぶすでちゃんと笑えない女とじゃなくて、もっと可愛い子とこういうポーズしたいし写真撮りたいだろうなぁ。」とか、「こんな内容のない話をだらだらするのも、行きたかったのに行けなかった人に申し訳ないなぁ。推しももっと楽しく話せる人と話したかっただろうなぁ。」とか、本当に突然負の連鎖に陥ってしまった。そこに運悪くTwitterでフォロワーさんのメンバーとのレポが流れてきてしまって(他メンも推しも含めて)、それに更にどんどん病んじゃって、「すごい。推しとちゃんとお話し出来てる。自分の推しをちゃんと支えてる。」ってなった。そうした時に「わたしって全く推しの事支えれてなくない?何も推しに対して思いやりの言葉もかけれてない、いつも自分ばっかり」って今までの事思い出しちゃって。

 

わたしは強いオタクでもないし、財力のあるオタクでもない。きっとわたしより新しくファンになった人の方が推しの事を思って、支えれてる。わたしって、一体今まで推しを思って何をしてきた?かっこいい、とか、好きです、とか自分の事しか伝えれてない。しかもこの部分のここがかっこよかった、とかもライブが終わった後本当に記憶がなくなってしまうから詳しくも伝えれてない。推しからしても、オタクからしても、わたしはいなくてもいい存在なんだろうなぁ、って急に卑屈になってそしたらどんどん嫌になっちゃって。推しと26日に撮った写メを見たら(これは完全にわたしの思い込みだと思うんだけど)あんまり笑顔じゃなくて、それにまた病んだ。推しは何も悪くないのにね。

 

 

いろんな推し方があって、いろんな推し方をしてる人がいる。それを理解してるつもりで出来てなかっただけなのかもしれない。わたしは必要とされる様な推し方や推しとの接触をしてこなかったのに、それを望んでしまっただけ、おこがましいだけなんです。

ただただわたしの思い込みで急に病んだだけ。きっとケロッとお花畑に戻ってくるはずです。

 

現にわけのわからないリプを推しに送ってるしね!